「三日月」
三日月(やま)【21~Last】

三日月 ㉑

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「あれは……あなたとお見合いをする半年くらい前でしたかしら。

 たまには外に出なくてはと……智を連れ出した時……。

 本郷の帝大の前で、あなたをお見かけしたのです。

 あの子は人力車から身を乗り出して、あの人!って指さして。」

和子は思い出したようにクスクス笑う。

「ひと目ぼれなのかと思っていましたわ。でも違ったんですのね?」

和子が悪戯な瞳で笑う。

「あ……ああ。智も私を覚えていてくれたよ……。

 幼い日に会ったことを……。」

和子はにこやかに笑って私を見上げる。

「翔様は女学生にとても人気がありましたから……私も知っておりました。」

「そ、そんなことはない……。」

私は若干照れた調子でそう言って、下を向く。

「ふふ……あの子に知っていることを話して聞かせると、

 数日後、私のところに来たんです。あなたと結婚してくれと言いに。」

私は黙って話を聞く。

「少しでも……あなたの側にいたかったんでしょう……。

 他に手段もなくて……。

 外に出れば、また昔のようなことが起こるとも限らない……。

 昔と違って、智も大きくなりましたから、

 自分で逃げることも、拒むこともできるようになりましたけど……。

 あなたに迷惑がかかるかもしれない……。

 第一、私達が智を一人で外に出すわけがないのです。

 それでもあなたに会いたかった智の……苦渋の選択だったのでしょうね。」

和子はその、薄茶の瞳で私を見上げる。

……智は私と会う為に、私と和子を結婚させた?

それは……本当に智が望んでいることだったのだろうか?

「可愛い智の、初めてのお願いです。叶えてあげたかった。

 智があなたに恋をしていることはわかっていましたから、

 それも私にとっては胸をえぐるような痛みでしたわ。

 ジレンマ……。あなたがうちに来たら、二人はすぐに恋に落ちる。

 それもきっと智の願い……。

 悩みました……。

 悩んで……私の出した結論は……。」

和子がじっと私を見つめる。

「あなたも知っている通り、この結婚を受け入れ、あなたを受け入れることでした。

 智が初めて好きになった相手……。

 私もきっとあなたを受け入れられる……そう思いました。

 そして……。」

「そして……?」

私は少し首を傾げて和子を見つめる。

「そして、条件を付けました。」

「条件?」

「ええ。」

和子が微かに笑う。

「あなたの子を……私にくださいと。」

子供……!

「智を誰かと結婚させるなんて、私にはできない。

 でも、この家には跡継ぎが必要です。

 だから……私が産もうと決めたのですわ。」

「和子……。」

私の顔を見て、和子は優しく笑う。

「あなた……。」

和子の手が私の手に重なり、私の手を握り締める。

「私は幸せなんです。智の望んだあなたの子を身ごもって……。

 この子がいれば、私は幸せなんです。」

「和子……。」

「だから……もう少し待って欲しかった……。

 この子が無事産まれるまで……。」

和子が目を伏せ、お腹を撫でる。

「すまない……。」

私はそれしか言えず、和子の手を握り返す。

「でも、もう時間がありません。父の耳に入ったら……。」

公爵の耳に……。

大野家を頼むと肩を叩いた公爵の……。

私の背筋に冷たいものが走る。

「だから……雅紀!」

和子がドアに向かって声を上げると、静かにドアが開いて雅紀が荷物と一緒に入って来る。

「当面はこれでなんとかなるでしょう。」

和子は数枚の紙幣と金貨を私の手に握らせる。

「荷物も用意しました。玄関先に人力車も呼んであります。」

何が起きているのかわからず、私はキョロキョロと和子と雅紀を見比べる。

「雅紀……。」

和子が雅紀に目をやると、雅紀は神妙な顔で頭を下げる。

「すぐに智さんを呼んでまいります。」

雅紀は素早く部屋を出て行く。

「二人で……逃げてください。

 行先は……雅紀に任せてあります。」

「和子……!」

和子は私の手を握り締める。

「智を……私の愛する智を……どうか幸せにしてあげてください。」

和子が頭を下げる。

「本当に……本当にいいのか?」

和子の肩に手を添え、顔を上げさせる。

「……辛いですけど……智の……あの子の幸せの為……。

 あの子は私ではダメなんです……。あなたじゃないと……。」

「子供を一人で育てるのか?」

「大丈夫ですわ。雅紀もいますし……この家にいればなんとでもなります。

 この子はこの家の跡継ぎですから。」

「和子……。」

私は和子を抱きしめる。

和子と……お腹の子を。

「翔さん!」

智の声に、私と和子が同時に振り返る。

「何を……僕を呼んで……?」

智が抱き合っている私達を、戸惑った顔で見つめている。

「智さん、これから翔様と逃げてください。」

和子は私を振り切って智の手を握る。

「姉様……。」

智の背に腕を回し、思いっきり抱きしめ、声を震わせる。

「この子が産まれたら……きっと会いに行きますから。」

「姉様……どういうこと?」

和子は智から体を離し、智に向き合う。

「翔様と一緒に……二人きりになれる場所へ……。」

「姉様……。」

智にもなんとなく事の成り行きがわかったのか、目に涙を滲ませる。

「赤ちゃんは……?」

「大丈夫。私が大事に育てますから。」

「この子も……幸せになれる?僕のようにはならない?」

和子は智を安心させるように笑う。

「ええ、大丈夫。この子は私が側にいますから。

 私はお母様のようにはなりません。」

「姉様……。」

智が和子の首に腕を回す。

「ああ、智……。」

姉弟で涙ぐみながら抱きしめ合う姿は、中世の宗教画のように美しい。

この二人を本当に引き離していいのだろうか……。

私の中に罪悪感が過る。

「いけません。汽車の時刻が迫っています。」

雅紀の言葉に二人は体を離し、見つめ合う。

「元気で……ちゃんと食べてくださいませね。」

「うん……大丈夫。姉様も……体を大事に……。」

「ええ……。ほら、名残りを惜しんでいては行けなくなってしまいます。急いで!」

智は私の顔を見上げ、大きくうなずいて玄関へと急ぐ。

私も雅紀と一緒に荷物を持ち、玄関に向かう。

「翔様、くれぐれも智を頼みます!」

私の背中に向かって和子が叫ぶ。

わかっている。

智と私だけなのだ……。

私が全力で智を守る。

見れば、智が人力車に乗ろうとしている。

「翔さん、早く!」

私は荷物を抱えて飛び乗った。










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