「三日月」
三日月(やま)【1~20】

三日月 ⑧

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次の三日月がやってきた。

私はゆっくり撞球場に進む。

今日はいるのだろうか。

本当に、あの少女が智なのか?

同じ家にいても、智に会うことはほとんどない。

昼間、私が出かけるせいもあるが、智が一人でいるところを見たことがない。

それくらい、和子は気を使って世話をしている。

理由は本当に病のせいだけなのか?

私は昂る鼓動を必死で抑え、撞球場の扉を開ける。

ギィと小さな音と共に開かれた撞球場を一回り見回す。

台にはキューが立てかけてあり、近づくと、また玉の位置が動いている。

智が打ったのだろう。

私はキューを手に取り、手玉の位置を確認する。

適当に始めたゲームだったから、どこで終わりになるのか……。

それも智の気持ち一つなのだろうか?

ならば、智が続けたくなるようにするしかない。

チョークを付け、手玉の位置を何度も見返す。

角度を決めると、指を立て、ブリッジを高く作る。

手前にある的に当てないよう気を配りながら、勢いよくラシャに向かって突く。

ラシャの直前で腕を止め、玉の動向を見つめる。

手玉は速いスピードで回転し、少し離れた的玉に当たって弾くと、手前の的玉に向かう。

角度もスピードも上々だ。

手玉は手前の的玉を掠め、クッションに当たって角度を変える。

「すごい。マッセまでできるんだ。」

ソファーに寝そべって見ていた智が感嘆の声を上げる。

ゆっくり体を起こす智の動作に見惚れ、言葉を発するのが遅れる。

「き、君が……上手く繋げてくれるから……。」

私は早鐘を打つ心臓を隠すように、シャツの胸元を掴む。

「どうやるの?」

智が私の前までやってくる。

黒いスラックスは細く、智の足の細さを際立たせ、

シャツから覗く胸元は、透けるようで……。

私は智から視線を外す。

そんな私に気づかないのか、智は私の前で、マッセの構えを真似る。

「これでいい?」

手玉の手前に手を広げてブリッジを作る。

「いや、もう少し中指で支えるように……。」

「こう?」

智が角度を少しずらす。

「もう少し……。」

「この位?」

智が指の角度を変え、私を見上げる。

目の前、ほんの五寸位の所に智の顔がある。

屈託のない智の表情が、私の中の淫らな欲望の存在を知らしめる。

いけない。

何を考えているのだ。

私は頭(かぶり)を振り、欲望の存在を打ち消した。

私には妻がある。

しかも智は妻の弟だ。

私は意を決して、智の後ろから智の左手に左手を添える。

「……この位……。」

智の指の角度を決め、右手でキューを握らせる。

「キューを立てて……。」

後ろから抱えるように構えを教え、大きく息を吐く。

大丈夫。

これだけ触れても私は欲望に負けていない。

私はまだ自分を保てる。

スーッと息を吸い込むと、目の前の智の首筋から、甘い香りが微かにする。

バラの香り?

「……温室へ行ったのか?」

「うん……バラを見に。」

智は勢いよくキューを突く。

手玉は綺麗なカーブを描き、手前のクッションに当たって角度を変える。

智は満足そうに手玉を見つめ、そっと振り返る。

「そうしたら……引っ掛けた。」

智はシャツの袖を私の目の前に掲げる。

1寸程度破れて、白い布がダラリと垂れている。

私はその布を持ち上げ、元の形に合わせてみる。

「……やはり、あれは智だったのか。」

「ぅふふ。やっと思い出してくれた。」

智はキューを持ったまま、台に腰を預ける。

「まさか、少女の恰好で会っていたとは思わないから。」

「そうだよね……。でも、思い出して欲しかった。」

智が嬉しそうに笑う。

忘れそうになりながら、ずっと心の片隅にあった思い出。

あれは、母の実家の別荘に遊びに行った時のことだ。



朝も早く、陽が上り始めた頃、私は蝉の羽化が見たくて別荘を出た。

森に通じる小道に出ようと庭を横切ると、見知らぬ女の子が野ばらに服を取られ、

動けなくなっている。

今にも泣きそうなその子は、その潤んだ瞳で私に助けを求めた。

私は可哀想に思って、女の子に話しかける。

「どうしたの?取れないの?」

女の子は必至な様子で大きくうなずく。

何かしゃべったら、こぼれ落ちるんじゃないかと思うほど、目に涙を溜めて。

白いワンピースのそこかしこに野ばらの棘が食いついている。

花を見ようと近づいた女の子は、棘に絡まり、取ろうとすればするほど、

どんどん棘が絡まりついて、身動きできなくなってしまったようだ。

私は女の子のスカートを掴んで、そっと棘を取り除く。

裾の方が取り終わると、肩や背中に着いた棘を取っていく。

「もう少し……。」

女の子の服から、ようやく全ての棘を取り終えると、最後に髪に絡まった棘を取る。

髪に絡まった棘は頑固で、簡単には取れてくれない。

少し力を入れると、女の子が、アッと小さな声を上げた。

「ご、ごめんなさい……。」

私は女の子の顔を覗き込む。

女の子は大粒の涙をポロリとこぼし、ニコッと笑う。

痛くないと、必死で訴えているようで、幼い私の胸はぎゅっと締め付けられる。

私は、女の子の涙を指で拭い、笑ってみせる。

生温かい涙は、女の子から離れると、急に冷たさを増し、

私はその指をギュッと握り込んで、髪から丁寧に棘を取り除いて行った。

全て取り終えると、女の子は野ばらから離れ、私の前で大きくお辞儀をする。

「これから、蝉の羽化を見に行くんだけど、一緒に行く?」

女の子は少し考えて首を横に振る。

「そっか。こんな時間だもんね。内緒で出てきたの?」

コクンとうなずく。

「じゃ……昼間なら会える?」

寂しそうに、また首を横に振る。

「じゃ、夜は?蛍を見に行こうよ。」

女の子は泣きそうな顔で、首を横に振る。

「そうか……。とっても綺麗だから、君に見せてあげたかったんだけどな。」

女の子も残念そうに目を伏せる。

長い睫毛が、影を作って、お人形のようだと思った。

「じゃぁさ、来れたらおいでよ。この道をもうちょっと行った所に川があるから。

 そのすこし上流で蛍がたくさん見られるよ。

 僕は一人でも行くから、来れたら会おう。」

私はそう言って女の子の手を握る。

女の子もコクンと小さくうなずいた。










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