「三日月」
三日月(やま)【1~20】

三日月 ⑥

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公爵が、小さな包みを私に手渡しながら、貴族院で父に会ったと言った。

兄の嫁が懐妊したと言って喜んでいたと言う。

兄のところも結婚してから3年。

遅すぎるくらいの懐妊だ。

だが、これで男子が生まれれば櫻井家も安泰、ホッと肩の荷が下りたという。

兄も来年になれば貴族院に入れる年齢になる。

先が楽しみだと公爵が笑う。

誰がみても完璧な兄は自慢であり、誇らしかったが、

私にとってはプレッシャーに他ならない。

和子も頑張ってくれてはいるが、なかなか兆候が見られないことを、

公爵もはがゆく思っているらしく、英国から取り寄せたというその包みを開いて見せる。

「これを飲めば、懐妊しやすくなるらしい。

 効果のほどは折り紙付きだと言っていたが……、まぁ、ものは試しだ。

 和子が来る前に飲んでみてくれ。」

包みの中には5粒の錠剤。

本当に利くとは思えなかったが、謹んで受け取り、公爵の前を辞した。



部屋に戻ると、和子が背広にブラシを掛けていた。

この間、温室で手に掛けていた背広……。

「そんなことまでするのか?」

私が尋ねると、和子は笑ってブラシを置く。

「これくらい、どこの家でもやってますわ。」

「しかし……この家は公爵家にしては人が少なすぎる……。」

私は以前から思っていたことを口にする。

「そ、そんなこと……。」

和子が口ごもる。

「だが、櫻井の家も多くはなかったが、この家はさらに少ない。」

和子は何か言い掛けて、目を伏せる。

和子とて、わかっているはずだ。

公爵家と言えば、五摂家。

智が家を継いでいれば、和子ならば、皇太子妃にと言われてもおかしくない身分だ。

それが、私と結婚し、さらにはこの質素な生活。

金に困っている風には見えない。

もちろん、公爵が貿易会社を経営していることは公にはなっていない。

公爵からすれば趣味のようなものだろう。

もしかしたら、先を読んでいるのかもしれない。

公爵は頭のいい方だ。

西洋化が進み、デモクラシーの波はいつ大きなうねりを上げるかわからない。

貴族社会がこのままの状態を存続していけるかどうか……。

「あなた……?」

和子が私を見上げる。

「もう少し、人を増やしてはどうか。智君の世話も……。」

「いいんです。智の世話は私がします。人も……。

 今いる使用人には申し訳ありませんが、これ以上増やす気はありません。」

和子はきっぱりと言い切る。

「それでは和子の負担が……。」

私は和子の肩に手を置く。

「私は大丈夫ですわ。お世話好きなのは、あなたも知っているでしょう?」

和子はにこやかに笑う。

「ですから、ご心配はいりません。父も承知しております。」

肩に置いた私の手に手を添え、私を見上げる。

「もう少しお待ちください……。そうすれば……。」

和子の瞳が潤んで揺れる。

「……何…を?」

和子は首を振り、顔を上げて微笑む。

「そうそう、人を一人雇おうと思っています。」

「それはいい。一人と言わず……。」

「いえ、一人で十分ですわ。庭師がもう歳を取り過ぎてしまい……辛そうでしたので、

 変わりをお願いしていましたの。

 その庭師の孫が一人前になってきたと言うので、彼を雇うことにしました。」

「庭師?」

私は首を傾げる。

あの庭のバラの手入れを任せられる人間が、そういるものだろうか?

「ええ。お孫さんですから、この家への出入りも多少ありましたし。

 わからないことは聞いていただければ、問題はありませんもの。」

「若いのかい?」

「ええ。今年、23になると聞いています。見習いではありませんから……。」

「それなら……長く働いてくれそうだね。」

「……ええ。」

和子が視線を上げて、にっこり笑う。

「来年も……綺麗なバラを咲かせてくれるのなら……。」

「もちろんですわ。母の大事にしていたバラですもの。」

私は少し躊躇しながらも聞いてみる。

「智君は……いつもああやって水浴びをするのかい?」

和子はクスッと笑って私の背広を撫でる。

「ええ、たまに……。あの子はあそこで水浴びするのが大好きなんです。昔から。

 だから、母が亡くなってからは、暑い日などに……

 私が水浴びをさせてあげています。」

「食事も……一緒に取ることが少ないが、そんなに体が悪いのか?」

和子は困ったように眉間に皺を刻む。

「もともと食の細い子ですから……周りを不快にさせてしまいますし、

 あの子も一人の方が食べやすいようですから。」

私は大きく息を吐き、和子を見つめる。

「智君の病気は……何というんだい?」

有無を言わせぬ私の強い視線に、和子が背を向ける。

「智の病は……。」

「不治のものなのか?」

「…………。」

黙り込んだ和子の後ろから、和子の肩を抱く。

「私もできる限り力になるから……。」

「……あなた…………。」

和子が振り返ると、トントンと部屋がノックされる。

「……はい。」

そのままの姿勢で和子が返事をすると、ドアが静かに開いて雅紀が顔を出す。

一礼して和子に向かう。

「松本と名のる男が、来ております。」

「ああ、すぐに行きます。」

和子が返事をすると、雅紀はゆっくりとドアを閉める。

「庭師の孫が挨拶に来たのね。あなたもいらっしゃる?」

和子は肩に置いたままになっている私の手を、両手で握って私に返す。

「いや、私は仕事の続きがある……。」

「そう?では後ほど挨拶に来させますわ。」

そう言って部屋を出て行った。

結局何も聞けぬまま……。

私は部屋の窓から温室を見下ろした。

咲き誇るバラと温室の白さの対比が、

私に、むせ返るようなバラの香りを思い出させる。

と同時に、幼い日に出会った、白いワンピースの少女の笑顔が浮かび、

私はそっと窓を開けた。

風が私の髪を撫で、バラの香りが微かにしたような気がした。










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